筋ジストロフィーの説明と意見

デュシェンヌ型筋ジストロフィーについて

筋ジスには、沢山の種類の型があり、それぞれに症状や進行の度合いが違います。私は比較的重いデュシェンヌ型にかかっています。
筋ジスは一言でいえば身体の筋肉が弱っていく病気で、私の型の場合、上肢・下肢・体幹・内臓に至る全身の筋力が徐々に衰えていっています。呼吸のために必要な筋力が弱くなっている状態であるため、呼吸器を装着しているわけです。また一度進行すれば回復することはありませんので、進行を早める状況を極力抑える必要があります。私の発病発病から現在の病状の変遷はこーじの足跡をご参照下さい。この病気には現在、治療法がなく、遺伝子組み替えによる治療の研究が進められているところです。
もっと詳しく知りたい方は下記ホームページ等で正確な情報をご覧下さい。
日本筋ジストロフィー協会のホームページ
http://www.jmda.or.jp/






人工呼吸器について

20歳の時、動脈血血液ガス分析(世間一般的に略して「血ガス」と呼ばれます。)結果により換気機能(呼吸により、酸素の取り入れと排出すること)が正常に働いていないため、呼吸器導入が必要と診断。そのころ起きていると息苦しさがあり、睡眠に入ると、ドキッとして目が覚め眠れない(睡眠時は無呼吸になっていた)などの症状があった。





呼吸器を着けるか着けないか?

私が、呼吸器を着けている理由は、単純に「死にたくない」という気持があるからです。介護者の負担への考慮、道具を使って生きるより、出来るだけ自然のままで障害を終えたいなどのの理由で死を選ぶ人もいるようです。ほんの少し前まで、呼吸器を装着しないことによる死の選択を強く批判し、呼吸器を着けるべきだと主張して来ました。しかし色々な人の話を聞いて考え直してみると、やはり選択は個人の自由であり、本人の強い信念を貫くことも一つの生き方なのですね。 しかし、脳死や再起が望めない場合の延命治療とは意味が違うことは是非とも把握してもらいたいのです。呼吸器を着ければ、確かに環境に変化があり、気管切開をすれば苦痛が起こりますが、制限の中でも活動を続けられる可能性、それどころか、自分でも想像していないような生き甲斐を得られる可能性があるのです。実際、そうして更に大きな幸せを手に出来たという人を沢山知っています。また、当然、在宅で生活する場合には、家族に介護または医療費の負担がかかることも事実です。ただ、本人の努力次第では、家族以外にも協力者を探すこともできますし、家族から独立された方がいることも事実です。決断の前にもう一度その事だけは理解して欲しいと願います。 そして、自分自身の信念を貫いて、死を選ぶとしても、家族や大切な人に深い悲しみを味あわせてしまう事が大いにあります。呼吸器を着けないという生き方を、納得とは行かないまでも、少しでも認めてもらった上で決断して欲しいとは強く感じます。
私は兄を失った両親が悲しみと苦痛の底に落ちた姿を見てきました。その時から、「私は絶対、両親にはもう一度この苦しみを与えたくない」と思い、出来る限り生き続けたいと考えているのです。こういう考え方もあることを多くの人に知ってもらいたいのです。 そして、理屈が正しいかどうか私にもわかりませんが「もっと生きていたい」「もっと生きていて欲しかった」と願いつつこの世を去らなければいけなかった人々がいます。さらに生きたいと願う余地さえ与えられず、命を奪われる人々がいます。そう思えば、そこに生きる術があるのなら、どんな人生であろうとも、生きなければならないというのが私の信念です。私はこの世を去った兄や、多くの友達、今私を慕ってくれる人たちの存在を意識して、一日でも長く生きていたいと心から思います。
でも、違う生き方も認められる心の余裕が必要なのかもしれないですね。





着床前診断について

筋ジスを含め重度遺伝病患者に関わらず、全ての人々にとって深刻な問題です。
岡山県にある「さくら薬局」発行の 「さくらだより・第7集」の一部に
寄稿させて頂いた文章です。
「さくらだより・第7集」へジャンプ
 さくら薬局のホームページ 





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